ライオンズクラブとは

ひたちなかベストライオンズクラブ

ライオンズクラブ国際協会は世界200以上の国と地域のおよそ46,000のクラブに140万人以上のメンバーを擁する世界最大の奉仕クラブ団体です。

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ライオンズクラブが力を合わせれば、すべての問題は小さくなります。そして、地域はより住みやすくなっていきます。なぜなら、それが地域社会であろうと世界のどこかであろうと、私たちは比類ない誠意と活力をもって、求められるままに援助の手を差し伸べるからです。

世界最大の奉仕クラブ組織

私たちは4万6千のクラブと140万人以上の会員を擁する世界最大の奉仕クラブ組織です。ライオンズは、最も効率的な奉仕組織でもあります。ライオンズは地域社会を支援するために必要なことは何でもします。私たちはどこで奉仕をしようとも、親睦を築きます。眼鏡を必要とする子供たち、十分な食料がない高齢者、そして一度も出会うことのないかもしれない人々とも親睦を築きます。

協会の名前とシンボル

ライオンズの名前
1917年6月7日、メルビン・ジョーンズの招集で、代議員たちがシカゴに集まりました。その目的はただ一つ、新たに結成された協会の名前を決めることでした。メルビン・ジョーンズは、協会をライオンズと名付ける案について検討しました。ライオンは強さ、勇気、忠誠、生命活動の象徴であると、メルビン・ジョーンズは確信していました。投票によって他のいくつかの候補を制し、ライオンズの名前が選ばれました。

ライオンズクラブライオンズ紋章
1919年の大会で、シンボルを変更しようという動きがありましたが、コロラド州デンバーから参加していた若い弁護士が立ち上がって意見を述べました。弁護士はホールステッド・リターという名でした。「ライオンズという名前は友愛、連帯感、気骨と意思の強さを表しているだけでなく、L、I、O、N、Sという組み合わせは、本当の意味での市民意識の到来をこの国に告げています。LIBERTY, INTELLIGENCE, OUR NATION'S SAFETY(自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる)」1931年1月発行のライオン誌で、協会名のこの新しい解釈がとり上げられました。

ライオンズクラブの名前は行き当たりばったりに選ばれたわけではなく、造語でもありませんでした。有史以前からライオンはあらゆる善きことの象徴であり、ライオンズの名前は象徴として選ばれたのです。4つの優れた資質 - 勇気、強さ、活動、忠誠 - がライオンズという名の選択に大きく関わっています。これらの資質の最後に挙げた忠誠は、すべてのライオンズ会員にとって独特な深い意味を持っています。ライオンというシンボルは、古代から現代にいたるあらゆる国で何世代にもわたって忠誠の象徴とされてきました。それは友人に対し誠実であること、理念に対し誠実であること、義務に対し誠実であること、信頼に対し誠実であることを意味しています。

紋章の中央の円には金色の「L」の文字がデザインされています。縁飾りの円には2頭のライオンの横顔が、中央から外に顔を向けて配置されています。一番上には「LIONS」という文字が、一番下には「International」という文字があしらわれています。ライオンは過去と未来の両方を見つめています。これは伝統への誇りと未来への自信を表しています。

使命

スローガン Liberty, Intelligence, Our Nation's Safety(自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる)
モットー We Serve(われわれは奉仕する)
ライオンズの誓い われわれは知性を高め、友愛と相互理解の精神を養い、平和と自由を守り、社会奉仕に精進する
使命声明文 ライオンズクラブを通じて、ボランティアに社会奉仕の手段を与え、人道的ニーズを満たし、平和と国際理解を育む。
ビジョン声明文 地域社会と人道奉仕におけるグローバル・リーダーを目指す。

歴史

1917年、アメリカ・シカゴ実業界の38歳のリーダー、メルビン・ジョーンズは、地元のビジネスクラブのメンバーに、仕事の問題を超えて、地域や世界をよりよくするために貢献していくべきだと話ました。ジョーンズが所属していたシカゴ・ビジネス・サークルは、この考えに賛成しました。アメリカ国内の同様のグループに連絡を取ったのち、1917年にイリノイ州シカゴで組織的な会合が開催されました。この新しい組織は、招待された団体のひとつである「ライオンズクラブ協会」の名をとり、同じ年の10月、アメリカ・テキサス州ダラスで全国大会が開かれました。会則、付則、目的、そして道徳綱領が承認されました。

その後3年間で、ライオンズクラブは国際的な団体に成長しました。以来、私たちは高潔性と透明性という点で高い評価を得てきました。ライオンズクラブは堅実なビジョン、明確なミッション、そして誇りを持てる長い歴史のある、健全運営された組織です。

1917年(創設)
メルビン・ジョーンズは、自らの才能を地域改善のために活用できないだろうかという、シンプルでありながらも世界を変えるような質問を投げかけました。それから約100年、ライオンズクラブ国際協会は4万6千を超えるクラブで活躍する135万人以上の会員を擁する世界最大の奉仕クラブ組織に発展し、地域社会の改善に力を合わせようという創設当初と同じシンプルな考えのもとに無数の奉仕を行ってきました。
1920年(国際化への流れ)
創設から3年後、カナダに1つ目のライオンズクラブが設立され、ライオンズは国際的な団体となりました。1927年にはメキシコがその後に続きました。1950年代と1960年代にはヨーロッパ、アジア、アフリカで新しいクラブが結成され、ライオンズは国際的な発展を遂げました。
1925年(失明の根絶)
米国オハイオ州シーダーポイントにおけるライオンズクラブ国際大会で講演をしたヘレン・ケラーがライオンズに対し、「暗闇と闘う盲人の騎士」となるよう呼びかけました。それ以来、私たちは失明者など視覚障害者への援助に力を注いでいます。
1945年(国々の連合)
国際団体の理想は、国連との持続的な関係によって裏付けられます。ライオンズは国際連合が協力を求めてきた最初の非政府組織の一つとして国際連合憲章の起草に助力しました。それ以来、国連の仕事をサポートしています。
1957年(青少年プログラムを組織)
1950年代後半、世界中の青少年がボランティア活動を通して能力を引き出せる機会を提供する目的で、私たちはレオ・プログラムを組織しました。現在世界140か国以上にある5,700のレオクラブで、およそ144,000人のレオ会員が活動をしています。
1968年(ライオンズの財団創設)
ライオンズクラブ国際財団は世界規模及び地域で行われる大規模な人道奉仕事業に取り組むライオンズを援助します。財団を活用してライオンズは、地域の、そして世界各地のニーズを満たしています。
1990年(視力ファーストに着手)
視力ファーストの活動を通じてライオンズ会員は、世界規模で視力の回復と失明の予防に取り組んでいます。1990年に着手したこの取り組みのために、ライオンズは3億4,600万ドルを超える資金を集めています。視力ファーストは失明の主な原因である白内障、トラコーマ、河川盲目症、小児失明症、糖尿病性網膜症、緑内障と戦っています。
現在(援助の手を差し伸べよう)
ライオンズクラブ国際協会は日々奉仕のミッションの対象を、地域社会と地球上のあらゆる場所へと広げています。ニーズは大きく、それらに応えるべく私たちは視力、保健、青少年、高齢者、環境、災害救援等、幅広い奉仕を行っています。ライオンズの国際規模のネットワークは200を超える国々及び地域をつなぐものへと広がっています。

ライオンズクラブ国際協会の目的

  • ライオンズクラブという奉仕クラブを結成し、認証状を交付し、監督する。
  • 各ライオンズクラブの事業を統制し、運営を標準化する。
  • 世界の人々の間に相互理解の精神を培い発展させる。
  • よい施政とよい公民の原則を高揚する。
  • 地域社会の生活、文化、福祉及び公徳心の向上に積極的関心を示す。
  • 友情、親善、相互理解の絆によってクラブ間の融和を図る。
  • 一般に関心のあるすべての問題を自由に討論できる場を設ける。ただし、政党、宗派の問題をクラブ会員は討論してはならない。
  • 奉仕の心を持つ人々が個人の経済的報酬なしに社会に奉仕するよう励まし、また、商業、工業、専門職業、公共事業及び個人事業の能率化を図り、道徳的水準をさらに高める。

ライオンズクラブ道徳綱領

  • 職業に対する不断の努力が正しく賞賛されるように心がけ、自己の職業の尊さを確信すること。
  • 事業を成功させて、適正な報酬や利益は受けるべきであるが、自己の立場を不当に利用したり、人に疑われる行いをして自尊心を傷つけてまでも利益や成功を求めないこと。
  • 事業を遂行するにあたっては、他人の事業を妨害しないように心がけ、顧客や取引先に誠実であり、自己にも忠実であること。
  • 世人に対する自己の立場や行いに疑いが生じたときは、世人の立場に立って解決にあたること。
  • 真の友情は損得の上に築かれるものでなく、心と心の触れ合いによるものであることを自覚し、手段としてではなく目的として友情をもつこと。
  • 国家及び地域社会に対する公民の義務を忘れず、変わらない忠誠を言動にあらわし、すすんで時間と労力と資力をささげること。
  • 不幸な人には同情を、弱い人には助力を、貧しい人には私財を惜しまないこと。
  • 批判は謙虚に、賞賛は惜しみなく、建設を旨として破壊を避けること。

メルビン・ジョーンズ略歴

メルビン・ジョーンズメルビン・ジョーンズは1879年1月13日、アメリカ合衆国アリゾナ州フォート・トーマスで、騎兵隊を指揮するアメリカ陸軍大尉の息子として生まれました。後に彼の父は転属となり、家族は東部へ引っ越しました。若きメルビン・ジョーンズはイリノイ州シカゴに自らの家を構え、保険会社に勤務したのち1913年に独立して保険代理店を設立しました。彼は実業家の昼食会グループ「ビジネス・サークル」に加入し、まもなくその幹事に選ばれました。このグループは、会員の職業的利益を高めることを唯一の目的として、当時多数存在したグループのひとつでした。これらのグループは世論に訴えるものが限られていたため、消えていく運命にありました。当時38歳だったシカゴ実業界のリーダー、メルビン・ジョーンズには別の計画がありました。メルビン・ジョーンズは自問しました。「意欲、知性、野心によって成功を収めた会員たちが、その能力を地域社会の向上のために活用したらどうなるだろうか?」こうして、彼の招きに応じてビジネス・クラブの代表がシカゴに集まって地域社会を支援する組織を立ち上げ、1917年6月7日にライオンズクラブ国際協会が誕生しました。

その後メルビン・ジョーンズは最終的に保険代理店から手を引き、シカゴの国際本部でライオンズクラブに専心することにしました。ライオンズクラブが社会奉仕に熱心な会員を惹きつけられるだけの信望を得ることができたのは、彼の力強いリーダーシップによるものです。協会の創設者であるメルビン・ジョーンズは、協会外部からもリーダーとして認められました。1945年にカリフォルニア州サンフランシスコの国連機関でコンサルタントとしてライオンズクラブ国際協会を紹介したことは、彼にとって最も名誉な経験のひとつとなりました。

「人のためになることを始めるまでは成功したとはいえない」というメルビン・ジョーンズの個人的信条は、世界中の公共心ある人々を導く理念となりました。彼は1961年6月1日に82歳で亡くなりました。

ライオンズ・ヒム(THE LIONS Hymn)

歌えライオンズ 自由の歌を
胸に燃ゆる火 デモクラシー
永久に 消さじと 守るなれ
リバティ インテリジェンス
アワ ネイションズ セイフティー

知性に生きる ライオンズ
社会奉仕と 友愛に
手をさしのべよ 常に強く
リバティ インテリジェンス
アワ ネイションズ セイフティー

戦の魔手より 国を守る
強き同志の 城築け
命と名誉と 富かけて
リバティ インテリジェンス
アワ ネイションズ セイフティー

また会う日まで

ほほえみつ 別れむ
こだまひびく ライオンズ ローア
高らかに歌い
称えよ ライオンズ サービス
固き握手のうち 友情こめて
また会う日まで すこやかに

Hitachinaka Best 56373 1R-2Z Dist.333-E, JAPAN